カティリナ事件は

紀元前63年、護民官ティトゥス・ラビエヌスと共闘して元老院議員ガイウス・ラビリウスを37年前の民衆派の護民官ルキウス・アプレイウス・サトゥルニヌス殺害の容疑で告発、ラビエヌスを告発側に就かせた。

この時、弁護側にはキケロとクィントゥス・ホルテンシウスが就いた。

そしてラビリウスは国家反逆罪で断罪された。

この時、護民官メテッルス・ケレルがヤヌスの丘に戦時召集の旗が掲げてあるのを見て民会を緊急召集したため、裁判自体はうやむやになった。

同年、カエサルはスッラの治世中に任命された前任のクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウスの死去に伴い、最高神祇官に立候補する。

そして彼は同じく立候補した前職の執政官カトゥルスとイサウリクスとその座を争うことになり、互いに職を巡っての贈賄の告発が続く事態となる。

この時、既に選挙運動で多額の借金を抱え、もし落選すれば再び国外退去するつもりでいたカエサルは、母アウレリアに「最高神祇官にならなければ戻ってくることはないでしょう」と言った。
update:2010年02月25日